コミュニケーションについて考える


僕は漫画を描く時に主人公は大体自分自身を投影したものになる。それは自分自身に興味があるし、やっぱり自分が好きなのだと思う。今、自分の中の問題として、コミュニケーションについて考えることが多い。
今回の記事では、ここ最近で印象に残った文章や、動画などを紹介したいと思います。


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今をときめく星野源さんがかつて雑誌で以下のようなことを語っていた。
(以下、引用する文章や会話について僕なりの解釈や要約を含みます。)

人見知りを自称することに恥ずかしさを覚えた。
それは相手に「僕(私)はコミュニケーションにおいて努力はしないのであなたが気を遣って下さい」と言っているようなもの。
だから、人見知りだと思うのをやめた。

これを見た時僕はハッとした。正論だと思った。
人見知りだから…、コミュ障だから…と自ら壁を作ってその壁を壊すのを相手に委ねるのはとてもずるいことなんじゃないか。相手と仲良くなりたいのなら自らも歩み寄らなければならないんじゃないか。

 

その一方で、以下の本も面白かった。


総合格闘家の青木真也さんが書いた本。試合で勝つことを第一に考え、そのためだったら空気の読めない行動をバンバンするという考え方。柔道をやっていた時は、投げ技、寝技を使うのが正統派とされている中で、体格的に勝てないと悟り、関節技などのトリッキーな技を使って勝てるようになった話や、練習後に飲みに行ったり、女性と遊んだりは時間の無駄だからしない話や、人からの誘いを躊躇無く断る話、奢られることは相手に借りを作ることになるからしない話など、なるほどなーと思いつつ、自分が実践するにはなかなかメンタルが必要だとも思った。目的を達成するためには友人はいらないと言い切っている。

 

今「ひとを<嫌う>ということ」という本を読んでいる。


人を嫌ってしまうことに罪悪感を感じたり、なぜあの人に嫌われているんだろうと悩んでしまうけど、むしろそれは自然なことで、それを受け入れることで豊かな人生を送れるのではないかという本。人を嫌いになる原因について徹底的に書かれている。まだ読み途中なので恐縮なのだけど…。

 

僕はウーマンラッシュアワーの村本さんが好きでAbemaTVの土曜The NIGHTという番組を良く見ている。基本的に村本さんのひとりしゃべりの番組なのだけど、少し前に、若新雄純さんと堀潤さんがゲストの回があった。

 

番組の中で若新さんがコミュニケーションの目的について話していた。

コミュニケーションとは共通の理解や意味を持つための行動。例えば新幹線で隣り合った人に「話しかけないで欲しい」という雰囲気を感じ取った時に、そこには「話しかけない」という共通の理解が生まれていて、ひとつのコミュニケーションと言える。

面白い考え方だなと思った。

また、印象に残った言葉で以下のような発言があった。

僕達は、自分と違う人、例えば障害者の方がいた時に、「自分達と同じなんだからそのことを問題にしてはいけない」という言われ方をしてきた。そうじゃなくて、自分達と違うのであれば、なぜ障害を持っているのか、本人はどう思っているのかを丁寧に説明する必要があるのではないか。

これは、福島の原発の近くから引っ越してきた子供や在日外国人などにも当てはまることで、一般とは違う状況である人達が差別やヘイトを受けてしまうのは、(攻撃する側は)そうすることで相手がダメージを受けることをわかっているから。それを言ってはいけないと抑えつけたところでその感情を消し去ることはできない。
「みんな一緒だから」と問題にしないのではなくて、「違う」ということを認めた上でコミュニケーションすることで分かり合えるのではないか。

 

強引にまとめると、仲良くなりたい人とはコミュニケーションを相手に委ねるのではなく自分も努力しよう。仲良くなりたくないのであれば無理にコミュニケーションを取らなくても良い。人を嫌ったり嫌われたりしたとしてもそれについて悩む必要はない。自分とは違う状況や環境、生まれなのであれば「違うこと」を受け入れよう。ということになる…のかな。

自分が今こう思う、こうであって欲しいという意見や本に共感して安心したいだけかもしれないし、そうではない意見も取り入れて自分の頭で考えられるようにしたいな~と思います。


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