ビートたけし『アナログ』を読んだ


昨日のお花見の楽しみ疲れからか今日はあまり行動的になれず、パソコンでネットをしたり本を読んだりして過ごしました。スマホがいよいよ寿命が近づいてまして、新しいスマホを物色したりしています。SIMフリーってなんぞや?という感じです。

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さて、読んだ本というのはビートたけしさんの書いた恋愛小説『アナログ』です。図書館で借りてきました。

主人公はデザイン会社に勤める水島悟。歳は30過ぎ。登場人物は主人公の悟とヒロインのみゆき、悟の友人の高木と山下がメイン。物語は、高木、山下との待ち合わせで喫茶店「ピアノ」に訪れ、そこにみゆきが現れて悟が恋をするところから始まる。その出会いのシーンの一節を紹介します。

みゆきがなぜか、店の外を気にしているように見える。振り向くと、そこには高木と山下が外壁のガラスにはなや口を押し付けてこちらをうかがっていた。二人は笑わせようとしてやっているのだろうが、店内の客は変な人がいる、と見て見ぬふりをしている。

みゆきは笑いながら「お友達がいらしたみたいですね」と言って席を立ち、出口に向かった。

その後ろ姿に悟は、「僕は、水島悟です!」と思わず声をかけた。

僕はこのシーンを読んだ時にある漫画を思い出しました。新井英樹先生の「宮本から君へ」です。その第1話に僕がとても好きなシーンがあります。

主人公は、文具メーカーの営業マンの宮本浩。毎朝同じ電車に乗り合わせる美女に話しかけたいが勇気が出ずにいた。どうやらその美女は大手自動車メーカーの受付嬢らしい。友人に発破をかけられ、ついに彼女に声を掛けることを決意する。いつものようにホームで彼女の後ろ姿を見つめる。電車が到着し、彼女が電車に乗り込もうとする。

宮本「ちょっ!!ちょっと待って!!くらさい

ぼっ僕は……」

僕はこのページを見てめちゃくちゃ感動したのです。何で名前を言うだけでこんなにドラマティックなんだろう、と。しかも、主人公の性格を表しつつ、読者にも主人公の名前を印象づけるというまさに1話のオチとしてこれ以上ないのではないでしょうか。

アナログ』に話を戻しましょう。最近読んだ、又吉直樹さんの『火花』と比較すると文章が平易で読みやすかったです。主人公の悟がヒロインのみゆきと会えるのは、みゆきが仕事が休みである木曜日に訪れる喫茶店「ピアノ」でだけです。なぜなら、連絡先を交換していないからです。なので、悟は何とか仕事の都合をつけて木曜日にみゆきに会いに行こうとします。

今日はみゆきは居るだろうか…?

なぜ今日は来てくれなかったのだろうか…?

今の時代を考えれば、LINEで「今日会える?」と連絡すれば済む話です。『アナログ』というタイトルから察するに今のデジタル化された社会においてアナログな方法でしか会えない男女の恋愛を書きたかったのだと思います。「トランプ大統領」という言葉が出てきたりしているので舞台は現代なのですが、一介のサラリーマンである悟が毎晩のように飲み歩いていたり(今のサラリーマンだったら節約すると思う)、90万円の指輪を割と簡単に買ったりと若干時代感のズレがあるように思ったけど、それはあえてなのか、そうなってしまったのかは気になるところです。

たけしさんらしさがあるか?と言われれば微妙なところだけど(と言っても映画は観たことはあっても小説は初めて読んだので難しいけれども)、主人公が落語が好きだったり、クラシック音楽や美術の話題が出てくるところは本人の趣向の現れだろうと思いました。「めちゃくちゃ泣ける!」とか「衝撃のラスト!」といった分かりやすい特徴があるわけではないけれど、読み終わった後にじんわりと感動が込み上げてくるような小説でした。

北野映画と言えばバイオレンス描写が特徴ですが、いくつか恋愛映画も撮っています。僕の好きな北野作品に『あの夏、いちばん静かな海。』という映画があります。主人公は、ゴミ収集車でゴミを回収する仕事をする男。ある日、先端の欠けたサーフボードを拾ってサーフィンに目覚める。そんな彼を彼女である貴子はいつも浜辺で見つめている。そんなお話です。主人公とヒロインは共に耳が不自由です。それもあって、セリフが極端に少ないです。なおかつ物語に大きな起伏があるわけではありません。しかし、映像によって観る者に訴えかける力があります。そんな映画らしい映画です。未見の方は、是非観て頂きたい作品です。

たけしさんが、映画の脚本について語った『物語』という本があります。その中での一節を紹介します。

基本的に映画ってのは、1枚の写真なんだけど、写真だと、ストーリーまで語れない。まあ、ロバート・キャパとかは、1枚の写真で戦争を語るんだけど。それじゃもの足りないときは、どうするか。その写真が動きゃいいんだよね。フィルムになる。それでも足りなきゃ、セリフをつけよう、音楽つけよう、ってなるじゃない。しゃべらせよう、効果音を入れよう、カラーにしょう、ってじゃんじゃんつけ足してきたわけで。だから、最初の基本的な1枚の写真で、ものを語れなかったらダメだっていうのが、俺の持論だから。できたらしゃべんなくていい、っていうのが映画の基本だと思うんだよね。で、しゃべんなきゃダメなら、映画じゃなくて舞台やりゃあいいじゃねえか、っていう。

ちなみに『あの夏、いちばん静かな海。』の脚本は、2時間ぐらいで書いたそうです。

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